2023年1月14日(土)から3月14日(火)まで愛知県美術館で開催されている
岡本太郎展
岡本太郎の代表作を網羅しつつ、これまであまり注目されてこなかった晩年の作品なども紹介している大回顧展となっています。
大阪、東京と開催され現在愛知で開催中。
大阪と愛知では初めての回顧展実現となるだけでなく、没後開催された回顧展の中で最大規模というスケールになっている。
これはもう見に行くしかないでしょう。
みどころ
1、没後開催された回顧展の中で最大規模というスケール
2、最初期から晩年までの代表作・重要作を網羅
3、岡本芸術と人間、岡本太郎を体感
18歳で渡ったパリの青春時代から、戦後、前衛芸術運動を牽引した壮年期の作品群、民俗学的視点から失われつつある土着的な風景を求めた足跡や、大衆に向けた芸術精神の発信の数々。さらにアトリエで人知れず描き勧めた晩年の絵画群まで。常に未知なるものに向かって果敢に挑み続けた岡本太郎の人生の全貌を紹介。(岡本太郎展HPより)
今回の「展覧会 岡本太郎」の音声ガイドナビゲーターはなんと俳優の阿部サダオさんです。
HPでサンプル視聴が少しだけ出来ますが、愛知会場限定の特別トラックもあるので是非阿部サダオさんの声を聞きながら回ってみて下さい。
愛知での開催場所は愛知県美術館(愛知芸術文化センター10階)
観覧料:一般1800円、高大生1400円、中学生以下無料
※前売りと20名以上の団体料金は少し安くなります
チケット売り場の横に早速気になる作品がありました。
いざ内へ入って行きます。
私は立体作品の方が好きなので必然的に立体作品の写真が多くなってます。
第1章:岡本太郎誕生ーパリ時代
1929年、18歳の時に家族と共にヨーロッパに渡った岡本は、単身パリに残り芸術家を目指し始める。ピカソの作品との衝撃的な出会いを経て独自の表現を模索していく中、前衛芸術家や思想家達と交流を深め最先端の芸術美術に身を投じていく。代表作《痛ましき腕》などのパリ時代の作品を通し、”岡本太郎”誕生の背景を探る。
1971年、名古屋栄のオリエンタル中村百貨店の4階から7階の外壁に巨大なレリーフをデザイン。
百貨店のキャッチフレーズ「天に星、地に花、人に愛」をテーマに、夜になると間接照明によって絵柄が浮き出す仕掛けだった。
長年愛されてきたが名古屋栄三越としてリニューアルされる際に撤去されている。
「太陽の神話」1952年
耐久性と鮮やかな色彩を持ち工業生産化が始まったモザイクタイルを、油絵具にかわる素材として注目していた岡村が初めて用いた作品。
その後公共空間に多数の岡村作品が設置されるきっかけとなった。
「作品B」「作品A」「作品C」1931年~1933年
「痛ましき腕」1936年(1946年再制作)
国際シュルレアリスム・パリ展に出品され高い評価を得た作品。
戦後岡村は「(痛ましき腕)などの一連の作品が、純粋なリリシズム*1と同時に反抗と告発をぶつけているのは、当時の私の姿のものである」と記している。
「露天」1937年(1949年再制作)
約40年ぶりにニューヨークから初里帰り
第2章:創造の孤独:日本の文化を挑発する
1940年、ナチス・ドイツのパリ没落の直前に帰国した岡本は、戦時色が濃くなるなか招集を受け、中国で4年間にも及ぶ過酷な軍務と収容所生活を経験。1946年に復員したとき、東京、青山の自宅は滞欧作品もろとも戦火で焼失。岡村は失われた時間を取り戻すかの様に猛然と活動を再開する。「アバンギャルド美術家クラブ」や「夜の会」などを結成。原色を多様したどぎつい配色など反発を呼ぶが、急速に復興・近代化する日本の社会的事象に反応した作品もこの時期多く描かれている。
「犬の植木鉢」1963年
「夜」1947年
花田清輝らとともに「夜の会」を立ち上げた時に、アトリエに掛けられていたことから会の名前の由来となった作品。
「愛」1961年
「子供の樹」1985年
「駄々っ子」1951年
赤いリボンをつけた「駄々っ子」と、桃色の犬が向き合っている。
岡村はこの「駄々っ子」を自分であるという一方で、桃色の犬が私、「駄々っ子」が犬であるかもしれないとも言っている。
第3章:人間の根源ー呪力の魅惑
1951年、岡本は東京国立博物館で縄文土器に出会い、その造形に日本人の根源的な生命感の表れを見いだす。これをきっかけに「わび・さび・渋み」に表されるようなすでに形式化されていた日本文化の伝統に意義を唱え、過去を乗り越えながら生み出され続ける現代の前衛精神と共振するような「もう一つの日本の伝統」の系譜について発信し始める。
「予感」1963年
霧の様な筆致と様々な色で描かれた巨大な空間を横切りのたうち回る様な太い線。
画面の右側に描かれている赤い実を持つ樹と鳥が飛んでいる様にも見える描き方。
このような呪術への関心を取り入れた絵が描かれるようになった理由として、岡本が愛読していたミルチャ・エリアーデ(宗教学者)の著書からの影響も指摘されている。
60年代に入ってからの岡本の絵画は、うねる様な動きを持った黒い線が装飾的に画面を覆うようになる。
呪術的芸術からの影響とともに、フィルムを排し描く身振りを強調する50年代後半の世界的な絵画の潮流「アンフォルメル」*2の応答を見ることもできる。
梵字を線描に置き換えるなどの研究を行いカリグラフィー*3と象徴表現の融合の可能性を探ったのもこの時期。
「愛撫」1964年
第4章:大衆の中の芸術
50年代は岡本太郎にとって新しい前衛運動を推し進める活動と並行して、芸術の外側の世界への発信を始めた時期でもあった。「職業は人間である」と自称し、分業化された専門性を嫌った岡本は、他分野の表現者達と交流しながら自分の活動領域を広げていった。1954年には諸芸術の総合の可能性を探究する拠点として、現代芸術研究所を立ち上げている。この時期より岡本が生涯をかけて手がけた仕事にパブリックアート、公共空間に置かれる芸術がある。
「日の壁」1956年
「青い手」「赤い手」1983年
「光る彫刻」1967年
「河童像」1981年
「手の椅子」1967年
「TARO鯉」1981年、「ひもの椅子」1967年
今回の愛知県美術館での展覧会では第6章まで作品が展示されていますが、
長くなりますので今回は第1章から第4章まで前半として紹介。
後半の第5章から第6章までは次回紹介したいと思います。
展覧会 岡本太郎
愛知県美術館
2023年1月14日(土)~2023年3月14日(火)
開館時間:10:00~18:00(金曜日は20:00まで)
アクセス
電車で行く場合は、
地下鉄東山線・名城線「栄」駅、名鉄瀬戸線「栄町」駅下車⇨オアシス21連絡通路利用徒歩3分
車で行く場合、駐車場は愛知芸術文化センター地下にあります。
※HPなどで紹介されている作品の流れと、実際に展示してある順番が少し違っていたかと思います
※この記事の説明文はHPや展覧会から抜粋して載せています
それでは、最後まで読んで頂いてありがとうございました。
いつもありがとうございます。