美術館に行くと企画展や常設展といろんな作品が見れますね。
豊田市美術館に行った時に気になる作品がありました。
端切れ布を使ったアップリケ作品。
素朴でとても可愛らしい作品。
作者は宮脇綾子。
とても懐かしい感じがする作品を紹介します。
宮脇綾子とは
・1905年2月8日(明治38年)東京都生まれ
・アップリケ作家、エッセイスト
・40歳の時、戦争を機に身近にあった端切れでアップリケを始める
・1952年、名古屋の青柳ギャラリーで初の個展を開催
・1955年、愛知県商工課の依頼でニューヨークのメイシ百貨店に屏風などを展示。暮らしの工芸展で知事賞を受賞
・1960年、アップリケ綾の会結成
・夫は洋画家の宮脇晴で、次男は建築家の宮脇壇
・1995年7月7日、90歳でこの世を去る
名古屋市成人学校講師、毎日文化センター講師、名古屋市女子短期大学講師、稲沢女子短期大学講師をやられていて凄いですね。
また、個展も毎年の様に開催されてました。
素朴な生活の中にある1コマを作品に仕上げているのですが、その作品がとても可愛らしい。
初期の頃の作品は地味な色使いですが、段々カラフルになっていきます。
そして色の使い方がとても上手くデザイン性に富んでいます。
宮脇綾子にとってみれば、道ばたの草花、台所の転がっている野菜、枯れた花や一匹のさんまですら美しい。
自然に学び、物をよく見る事、それが創作を生むきっかけとなるとか。
宮脇綾子の作品
左が「鴨(背)」、右が「鴨(腹)」:1953年
「足のとれた蟹」:1963年
「切った玉ねぎ」:1965年
「ひなげし」:1969年
「あんこう」:1975年
「かぶの花」:1976年
「伊勢えび」:1982年
年々作品の色使いが明るくなっているのが分かります。
宮脇綾子の作品を見ていると、「あ」の文字に目がいきます。
綾子の「あ」の意味もありますが、驚いた時の「あ!」という感動も込められているそう。
宮脇綾子が作品を作り始めたのは40歳を迎えた頃。
家の雑用に追われながら良妻賢母で朽ちて行くのがたまらなかったとかで、女性としては凄くその気持ち分かりますね。
そして、家の中で出来る事を探している内に、ボロの中に捨てがたい物が沢山ある事に気がつく。
そんな宮脇綾子ですが、作品を作っていく内に布を染めた人、織った人、これを着た人の心が届いてきてハサミを入れることができなくなります。
そうして綾子はハサミを入れないで、そのまま使えるパッチワーク着物を仕立てていく様になったそうです。
また、旦那さんの事をとても大切に思っていた様で、
何を作っても、あなたえ(へ)の思いの込めたものばかりです
「こんなものができましたよ」と あなたに見せたいです
と、夫の宮脇晴が亡くなった後に綴っています。
こんな風に思い合いながら共に暮らしていけたら最高ですね。
あとがき
宮脇綾子は1944年から毎日、日常の何気ない日々を日記をつけていて、夫婦として過ごす時間の大切さが綴れているそうです。
そんな風に生きたい!と思ったのは私だけではないのでは?
豊田市美術館は宮脇綾子の作品を何点かコレクションしているので、気になった方は是非見に行ってみて下さい。
それでは、最後まで読んで頂いてありがとうございました。
いつもありがとうございます。